「あんもちよい」

                                                 町田 雅之
 6年ほど前、子どもの通う小学校のPTAで、児童・職員・保護者の家族ぐるみでことばと絵を持ち寄って「ふるさとかるた」を制作し、それを用いた毎年1月のかるた大会は学校の恒例行事になった。ルールに則った団体戦と、体育館の床いっぱいに大判の絵札をならべたファミリー戦で、寒さも忘れる熱戦となる。なにより、ふるさとのさまざまな事柄をちりばめたかるたで遊ぶうちに、少しはふるさとのことも覚えていく。こういった知識が、やがてはふるさとを変える原動力にもなるのではないかというのが、作った側の狙いでもある。このかるたの最初の札が「『あんもちよい』元気な声の こどもたち」である。
 「あんもちよい」は平戸市の旧町部、つまり北部地区のうちでも平戸城下の比較的限られた地域に江戸時代から残る伝統行事である。12月1日の朝、一番鳥が鳴く前にあんもちを食べるとすこやかに1年が過ごせる、といった縁起らしいが、商家の子ども等がおよそその時刻頃に町中をまわり、「あんもーちよい」のかけ声で、あんもちを売り歩くならわしが今に伝えられている。旧暦の師走朔日の未明といえば、寒さは最も厳しいに違いなく、商家の子弟のそれなりの心構えを問う行事でもあったのではないだろうか。
 なにしろ未明に大声を競う行事ではあるし、売れば利潤も発生するということで、ある時期学校あたりからイエローカードが提示されたりもしたが、今のところ、子どもの数が減りつつあるにもかかわらず、絶滅の心配はないようである。しかし、こだわりの目でみれば、必ずしも手放しで安心もできない。
 前述のかるたの絵を募った際も、本来の「あんもちよい」の姿ではないものが半数あった。なにしろ「もろぶた」が今や死語に近い。知り合いの家の予約を受け、親の運転する車で「宅配」するケースがあるのも実態だ。
 だから、「あんもちよい」のかけ声が少々おかしいくらいでは文句を言ってはいけないのかもしれない。が、こだわるべきは案外、このかけ声ではないかと個人的には思っている。伝統行事の場合、目に見えるものは比較的保存がしやすいのではないか。音や声による、しかも民俗的なものの保存は、どうしてもそのものを保存しているとは言い難い面がある。録音が一般的になって100年そこそこであるし、録画にいたってはその半分にもならない。それ以前には音そのものを記録することは不可能であったから、伝えられているものが、本来の音そのままであるのか、どこかで変化を余儀なくされたものかの判断は難しいし、変化したと考える方が自然でもある。  そこまで堅苦しく考えるほどの行事ではないかもしれない「あんもちよい」はしかし、気もちよく眠っているところを起こされる場合だってあるわけだから、耳になじんだかけ声でやってほしいと常々思っている。「あん(これは1拍にまとめる)」「もーち(すこし高めの音で、ややのばす。こののばし加減ですべてが決まると言っても過言ではない)」「よい(軽くはずむようにしめくくる)」こんな具合である。

生月自然の会会報「えんぶ」32号(98年11月発行)に掲載
 
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