創業の精神   


町田 雅之

 屋外広告業という言い方もあるが、私は看板屋である。私と従業員とその家族は、看板なるものを設置することによって糧を得ている。父が半ば手探りでこの仕事を始め、およそ50年がたつ。早死にだった父の年齢を5歳も越えて、仕事の質や量に関しては間違いなく私のほうが長けているはずだが、創業にまつわるエネルギーには、遠く及ばないものを感じている。ここ数年、私は父が言葉で残せなかったそのエネルギーの源を模索し続けていた。
今、私のまわりではまちづくりに少なからぬ関心が寄せられていて、景観が議論の対象になるケースも増えてきている。一般的な議論だと、看板=屋外広告は景観の阻害要因であるという扱いから始まることが多いのだが、私の職業を知る人はどうしてもそれを遠慮がちに切り出すことになる。まちづくりや景観についての話しは別の機会にすることになるだろう。
 多少言い訳めくが、どんなにていねいに作った看板でも、やがてはゴミになる。物理的な変化が伴わなくても、陳腐化という変化を避け得ない宿命がある。しかしたまに、あるいはしばしば、設置されたときからゴミ同然の看板があることも事実である。見られるべきものとして作られながらも、結果として見たくない、見せたくないものであるときがある。そしてまたある地域では、不法に設置された広告物の撤去作業を、ボランティアとして行っている方々のことも忘れてはならない。
 私にはそれほど優れたものを創る能力はないが、有ってよかった、といわれる看板を作りたい気持ちは誰にも負けないつもりである。少なくとも看板が悪者になるような仕事だけはしたくないし、それを誰かにされても困る。裏を返せば、それが私のこの地域の愛し方の出発点であるし、創業者の思いだったのではないだろうか。

1998.7.12掲載

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