「ひとりぐらし」

                                                 町田 雅之
 ピアノ三昧の高校生活に別れを告げ、満開の桜に見送られながら、長女は親にも経験のない一人暮しへと旅立っていった。今さら別れの寂しさを感じることもないが、寮とは名ばかりの全くのひとり暮らしである。使い込まれたカギを使ってようやく開けたドアのむこうは、まさしく昭和30年代の四畳半の世界。私も中学生のときは四畳半の部屋だったが、こんなに狭かったか? 20ワットの裸電球とコンクリートの流しはおきまりのモノ。その下の小さな電気冷蔵庫と窓付けのエアコンが時代の変化を教えてくれるが、他になにも置かれていない部屋に一人暮しとはこういうことかとあらためて思い知る。
 娘がまもなく高校3年生になるというころ、卒業後の進路についてなにか食い違いを感じ、実はかなり悩んだ。相談した友人はこともなげに「本人と相談すれば」と言い切る。中学3年で父に死なれた私には、高校生が親と相談する、という場面が想像出来なかったのだ。ピアノが好きだとはいっても、それで食っていけるかどうかは本人にだって見当がつかないわけではない。おそるおそる勧めた親の予想に反して、彼女は管楽器の修理という職人の世界にかなり惹かれた様子だった。およそ全員が音楽大学に進むコースに居ながら、彼女一人はためらうことなく、そしてクラスの誰よりも早く専門学校への進路を決めた。普段はなにごとにもゆっくりなのに、このことに関しては親を急かすように話しを進めてきた。髪には人一倍こだわりを持っていたはずなのに、実習に邪魔だと高校を卒業すると同時にばっさりと髪を切るという決意も見せた。頼まれて始めたコンビニ店員のアルバイトも、普段のルーズさとはうってかわって粛々と早朝から出かけて行く。
 出発間際に仲間たちが開いてくれたコンサートは、とりあえずピアノに打ち込める最後のチャンスだった。先のステージの反省のもと、周到な準備を重ねてきたが、幕が開いたらなにが起こるかわからない。ちょっとした進行の食い違いだけでも、とたんに集中力を失い、小さなミスを取り戻そうと、大きなミスを重ねることになってしまう。良い思い出というにはちょっとつらいものがあったかもしれないが、自分を律するということは、そういうことなんだ。
 入学式。就職の見込みがなければ入学させない、と言い切る学校のカリキュラムはおよそ就職を前提にしている。私も経営者のはしくれとして、人を雇うことの厳しさをしらないわけではない。就職なあ・・・と、なかば途方にくれて考えこんでいるうちに、卒業生受け入れ企業の代表の挨拶が始まった。人の縁は、どこでどうつながるものやら、10年ほど前、私は不相応にも商工会議所青年部の九州ブロック代表として、いろんなやりくりをしながら何度となく東京での会議に参加していた。なんと挨拶を始めたのはその当時の仲間の一人なのだった。
 旧交を温める間もなく私は帰路につかねばならない。地下鉄の駅で別れた後、娘は一度逆のホームへと降りかけた。声をかけて届く距離でもない。すぐに気付いてはにかみながら笑顔を見せると、人ごみのなかへ消えていった。ひとりぐらしが始まるのだ。
生月自然の会会報「えんぶ」31号(98年7月発行)に掲載
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