美しい文字


町田 雅之 

 私が看板屋であることは、すでに書いた。看板屋ときいて映画館の絵看板を連想される方は今でも多いのだろうか。実態としてのこれまでの私たちの仕事の本質は、絵も含めた文字の、あるいは文字さえも絵とみなしての「再現」であった。比較的大きな文字を、簡単にアタリをとった中に、タテヨコナナメ、まれに裏返しや逆さまでという要求も含めて、正しく描くことができれば、それで十分看板屋であり得た時代はけっこう長かった。そしてそういった技術の習得が、およそ業界人の目的でもあった。ところが今や、その「再現」は際限なく新しい技術に置き換えられ、看板屋固有の仕事とはいえなくなってしまった。ある面では、仕事に携わる人の差を結果に反映させないようにしてきたわけだから、当然といえば当然の結果だろう。
 そんな折りも折り、この業界でかねてより私が「父」と仰ぐ先輩が「現代の名工」として栄えある表彰を受けた。業界団体の育成や、技術者としての多くの貢献もさることながら、美しい文字を描くことに命をかけてきた足跡が評価されたことが、なによりうれしかった。
 「再現」というのはつまりそれが絵であれ文字であれ、作業はあくまで発信者の代理にすぎないという宿命がある。私たちの作業は、そこに文字が含まれているか否かにかかわらず、それが展示される空間が先にあることが殆どである。与えられた空間を破壊することなく、発信者のメッセージを増幅し伝えなければならない。この業界が自らを「屋外広告業」と称していることの裏には、それが多くの人の目に否応無く飛び込む屋外であるという自戒が込められている。この先、看板屋から文字を描くという作業が消えたとしても、美しい文字を描き続けてきたことの根底にある、人の目に映る景色が美しいものであるように、という願いは忘れないようにしたい。

1999.02.26 掲載 

                                  

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