「ステージから(2)」 


〜未熟・非才をかえりみず〜

                                                 町田 雅之
5.Je te veux
 エリック・サティは「ジムノペディ」というシリーズ作品が有名である。意図的に印象の薄い曲をたくさん書いているのだが、この曲は歌としてまとまっていて、CMにもよく使われている。オリジナルはシンプルな歌なのだが、フルート用のスペシャルアレンジは、譜面の見かけは簡単そうでいて、クラシックではあまり使われない動きが頻繁に出てくるので、今回もっとも練習に時間がかかった。それでも、あとの方では集中力に欠ける始末だ。
 タイトルのJe te veux(ジュ・トゥ・ヴ)は「私はあなたが好き」と訳されることが多いようだ。どうでもいいことだが、私はあのサティがそんなありきたりの解釈で名付けたはずはないと思っている。

6.リゴードン(ラヴェル作曲/組曲「クープランの墓」から)
7.雨の庭(ドビュッシー作曲/組曲「版画」から)
 2曲とも娘のピアノ独奏。ショパンまでなら教室でもなじみが無くは無いが、フランス印象派のかなり本格的作品で、つかみどころの無い感じがする。実は自分の娘がドビュッシーのピアノ曲を演奏するようになるとは思ってもいなかった。自分には無い能力を子どもが身に付けていることを知るのは親としてたまらなく嬉しいものだ。 残念だったのは広い会場を借りることをためらったために、ピアノが小さいものになってしまったことだ。調律士は精一杯やってくれたけれど、もとがもとである。覚悟はしていたのだが、色彩感が命のこの曲に至るとどうしようもない。色の欠けたクレヨンセットで描くようなもどかしさを、ピアノに向かう娘の後ろ姿に感じ、心の中で娘に謝るしかなかった。

8.メヌエット(ビゼー作曲/「アルルの女」第2組曲から)
 私たちの頃は鑑賞教材だったこの曲は、あまり好きではなかったことを覚えている。でも意外にリクエストは多かった。なじみのある曲、というだけで良い音楽だということでもないのだろうが、大したことも無い曲が100年以上も聞かれ続けることもないだろう。

9.精霊の踊り(グルック作曲/オペラ「オルフェウス」から)
 純愛臨死体験オペラの中で主人公が天上界に潜入して死んだ妻を探す場面で演奏されるこの曲は、18世紀なかばの作品なので、決して人工呼吸や心臓マッサージは出てこない。が、演奏者が演奏途中に絶命したという話しがないのも不思議なくらい息の長い曲だ。

10.七つの子変奏曲(林光編曲)
 誰でも知っているメロディーで、適度な長さと、演奏者のプライドもそこそこに満足させる技巧が数箇所にちりばめてある。私が好んで演奏する理由はそんなところだろうか。娘が小学校6年生のとき、初めて人前で一緒に演奏したのもこの曲だった。ステージが終わると見事に揮発してしまう娘の特殊な記憶能力を実感したのもこの曲だ。

11.見果てぬ夢
 「ラ・マンチャの男」というドン・キホーテを描いた映画・ミュージカルの中の有名な1曲。このタイトルのこの曲を、最後に置くこと自体がメッセージである。ドキュメンタリー番組などであれば、最後のほうで動きの遅い画面にナレーションがかぶるところだろう。
 今、私にとって、見果てぬはずであった夢のひとつが実現したことになる。決してあきらめていたわけではないが、思いがけなかった娘の成長がこれを意外に早くもたらしてくれた。

当夜のプログラムの挨拶文から。
 15年前、成人式のアトラクションのため、このステージで演奏していた雅之の横に無理やり上がってきた娘が・・・今夜そのステージでピアノを弾きます。
 「笛吹けど踊らず」っていうのは、私にとって、踊れるように笛を吹くのは難しいということに他なりません。フルートから始まって、気がついたら平戸オランダ商館復元に代表されるまちづくりの大きな流れに関係するようになっていました。そういう中での個人的な原点探しに、今夜の皆様にはおつきあいをいただいています。
 31年前、父が42歳で病気で亡くなるちょっと前、中学3年生になったばかりの雅之は、初めてフルートを手にしました。(中略)そういう音楽のことが縁で、いつのまにか「地域おこし」のいろんな活動にも関係するようになりました。なるべく楽しもうと思いながらやっておりますが、雅之が本当に楽しいのはフルートを吹いているときだということは、ずっと変わりません。そのフルートにしても、きちんと指導を受けたわけでもないので、こうやって皆さんに集まって聞いていただくなどというのは、あるいはとんでもないことなのかもしれません。
 今、平戸のまちづくりの流れのなかで、いくつかの方向性が見えつつあります。雅之は次の世代への責任感から、自分なりにかなりなエネルギーを消費してきましたが、ここにきて限界や、ちょっと違うというものもますます感じるようになりました。いつかは踊れるほどの笛が吹けるようになるのかどうか、もしこれが節目というものであるとすれば、どうぞ皆様のご助言をお願い致します。1997年秋。

生月自然の会会報「えんぶ」28号(98年1月発行)に掲載
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