按針忌随想

 オランダ帆船とよしゆき May 1997
オランダ帆船とよしゆき  ウィリアム・アダムスのことはあらためて書くまい。終焉の場所が特定できていないとはいえ、平戸で死んだことは間違いないだろうし、その日付もしっかりしている。2年前、旧平戸藩からつづく松浦家41代の当主、松浦章氏から親交のある蘭英両国の大使を伴って平戸に来たいという申し出を受け、彼らを迎え入れるためにと知恵を絞った結果、国際交流HIRAの会の小関彰博氏を中心に始めたのが「按針忌」である。初回は両大使の日程に会わせて3月半ばの開催であった。2回目の昨年からはアダムスの命日に一番近い日曜日の開催を申し合わせ、今(1997)年は5月25日の開催となった。
 第2回の昨年は英国からのお客様に加えてオランダの総領事が参加され、交歓会の席上で平戸オランダ商館の復元がにわかに具体性を帯びてきたことが印象的であった。以来、オランダ総領事はこの1年で5度も平戸を訪れることになった。そのどれもがなにかの話題を巻き起こしたが、圧巻は5月なかばの帆船「オーステルスヘルデ」での入港であったろう。平戸港への入港の際の礼砲の発射音に、何事かと集まった市民の前で、400年前の平戸の人々も、こんなに私たちを歓迎してくれたのでしょうか、というしゃれたスピーチであった。
 今年の按針忌は、蘭英両国の総領事が出席されるという前提で準備が進められ、いつもにまして国際色の濃い行事になったが、平戸市が正式にホストの立場で参加されなかったことが残念に思えた。両総領事の送迎をはじめ、多くの職員がいろんな協力をしていたのに、平戸市が主催者とならなかったというのは、たぶん「国際化社会」を見据えての平戸市の「見識」なのであろう。
 私自身はHIRAの会のシンパとして、アンサンブル・ウィンド・アゴーの仲間達と式典・交歓会の音楽を担当させていただいた。
 式典は同日午後、アダムス墓前で行われた。前奏の曲に続いて、英国・オランダの両国歌の演奏。外国国歌を、しかも両国を代表する外交官の前で演奏するなどという滅多にない機会に緊張は隠せない。短いスピーチの後、アダムスをたたえる式。進行は生月町の英語助手ジョン・ルイス氏。彼は日本での宣教師を目指すオランダ系アメリカ人である。明るい日差し、そよ吹く風、鳥の鳴き声の中での彼の聖書の朗読は、ここが平戸であることを忘れさせるような、不思議な魅力にあふれていた。そんなさなか、アダムスの墓碑に一匹の蝶が羽を休める。アメリカの教会では音楽監督の経歴もあるというジョン氏の指導で式典直前に練習した賛美歌と、長い長い献花の伴奏もなんとかクリヤーして、次は茶道鎮信流の宗家でもある松浦章氏による「献茶」。半ばからかぶせるようにアダムスが遺した手紙の朗読をHIRAの会の丹澤明氏。そして同時に私のフルートのソロでイギリス民謡「グリーンスリーブス」・「アメージンググレース」。アダムスの思いはどこまで届いたであろうか。
 式典の後は、松浦史料博物館の新装なった「眺望亭」でのシンポジウム。交流とは別に、按針その人について知るという、この行事の大事な部分である。按針研究家の江頭氏のスケジュール調整がようやくできて、今回が初めての開催。しかし、私は夜の交歓会の音楽打ち合わせのために、無念の欠席。
 夜の交歓会場、北部公民館でのオランダ総領事のスピーチ、「この場所は、平戸で最も国際的な場所になったのではないでしょうか」。そう、一国の大使や総領事を何度もお迎えする場所として、本当にふさわしいのかどうか、逆にいうと「国際」的な場所というのは、そういう仕掛けがあればいいというものでもない。
 イギリス総領事のスピーチ、「昼、私は下手な日本語で挨拶をしました。今、私は下手な英語で挨拶をします。」という前置きに、英国人の英語はわかりにくい、というちょっと前の通訳裏話を思い出してニヤリ。でも、そんなことを吹っ飛ばすような出来事があった。
セッション  松浦章氏は学生時代からトランペットを吹いておられたということなので、いつか一緒に、というのは我が楽団にとって初回の按針忌からのちょっとした宿題になっていた。この日の式典の後「今夜ご一緒にいかがですか」とおさそいしたら、まんざらでもないご様子。曲はプレスリーの「好きにならずにいられない」。楽譜をお渡ししただけで、ほとんど打ち合わせらしいこともせずに本番。低音の豊かな響かせ方に、ただならない力量を感じさせられた演奏であった。そのあと、イギリス総領事が、我がメンバーのクラリネットを手にされたかと思うとパラパラと・・・。どうやらお二人ともディキシーランドジャズをかなりご経験の様子で、にわかにバンドを結成、「ケアレスラブ」と「聖者の行進」の2曲をご披露いただいた。その場に居合わせた人達の、なんと幸運なことだったろう。「お殿様」とイギリス総領事のライブを聞くなどというのは、めったにないことに違いない。
 ここで松浦章氏のもう一つのご趣味について触れておきたい。氏は「お茶は教えるの苦手だけど、テニスだったらうまく教えられる」とご自分でおっしゃるほどのテニス好き。かたや、オランダ総領事のテニスの腕は日本風にいうなら「国体級」。次は是非、テニス交流を実現したいものである。

生月自然の会会報「えんぶ」26号(97年9月発行)掲載分を少し改めました。
町田 雅之
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